e文庫 アダルトウルフガイ・シリーズ



狼男だよ   狼男だよ
著者:平井和正

イラスト:泉谷あゆみ
定価500円
TTZ版:814KB、PDF版:1.35MB

●目次
第一部 夜と月と狼
第二部 狼は死なず
第三部 狼狩り

立風書房版あとがき
早川SF文庫版あとがき
祥伝社NON NOVEL版あとがき
角川文庫版あとがき


●立ち読み
第一部 夜と月と狼


     1

 ブルSSS(スリー・エス)の鼻面は、みごとにひしゃげてしまった。破損したラジエーターが、怒ったようにシュウシュウ白い蒸気を噴きあげていた。
 一方のセドリックは、追突のショックで、後部トランクのロックがはずれてしまい、蓋(リッド)があんぐりと口を開けてしまっている。
 ありふれた交通事故の光景だと思うだろう。すくなくとも生命にかかわるほどの大事故ではない。この交通大戦争のご時世にはちと月並すぎるというものだ。
 けれども、はずみであんぐり開いた車のトランク・ルームの内部に、一糸まとわぬ若い女の死体が詰めこまれているとなれば、話はべつだ。それも血の気のないまっ白な蝋のような死体、お目にかかったこともないような美しい死体だ。
 おれも、あんぐり口を開け、たっぷり五秒間、トランク詰めのきれいな死体に眼を奪われていた。これが手のこんだいたずらじゃないという証拠があった。おれがど肝を抜かれている間に、セドリックから男がひとり出てきたのだ。
 そいつは、手に拳銃を握っていた。それは銃身の極端にみじかい、ぶかっこうなリボルバー拳銃だった。おれの貧弱なガンの知識が教えるところによると、たしかスナップ・ノーズとかいうやつだ。いかにも物騒にテラテラ光っていた。
 たしかに本物らしく見えたし、全裸の死体を車のトランクに詰めこんでいる男なら、本物の拳銃を持っていてもふしぎはない。
 男は、白い絹のスカーフで顔の下半分をおおいかくしていた。そいつの眼は白く光っていた。義眼のように無表情だ。のぞきこんでいると寒気をおこさせる眼だった。
 ところで、取りこみ中のことだから、手早く自己紹介をしておくと、おれの名は犬神明といって一匹狼のルポ・ライターだ。おれはいろいろ特技を持っているが、そのひとつは、汚物の臭いに敏感な犬みたいに、厄介事を嗅ぎだす能力だ。これは生れつきの才能で、ひょっとすると、例の超能力とやらの一種かもしれない。あちこちうろつきまわっているうちに、ひょっと気がつくと、厄介事のどまん中に跳びこんでいるというしかけになっている。
 明け方の四時ちょっと前、場所は世田谷の信号機のない交差点。そこでおれはなに気なく追突事故をおこして、とんでもない厄介事に、ずぶりと浸ってしまったというわけだ。
 厄介事はおれの商売とはいうものの、ひとつきりの生命を落してしまっては、元も子もなくなる。商売柄、おっかないヤーさまだの、さらに危険なプロ犯罪者と近づきになったこともあり、すごい蛇の眼を持った連中の扱い方は知らないでもない。
 が、このお相手は、いささか手にあまるようだった。さすがのおれも、まだ仕事中の殺し屋を取材したことはない。しかも、殺し屋が仕事の邪魔だてする阿呆に抱く愛情のほどは、これは容易に想像がつく。
「うしろを向け……」
 そいつは、妙にくぐもった声でいった。
「わざと車をぶつけやがって……間抜けが」
「待ってくれ。話せばわかる」
 おれはあわててばかなことをいった。
「いや、話さなくてもわかる。おれを殺す気だろう」
「うしろを向きな」
 おれはあきらめてうしろを向いた。拳銃を握る、もの慣れた手つきからいって、おとなしく命令にしたがうほかなさそうだった。どうやら、お相手は眠る間も拳銃をはなさないという手合らしい。逆らってもむだである。
 それに、拳銃にものをいわせる気なら、なにもおれにうしろを向かせることはない。そのままぶっ放せばいいのだ。とすれば生命まで取りあげる気ではなさそうだ。拳銃のグリップで、おれの頭をどやしつけるということか。
 そんな読みから、おれは抵抗を断念したのだ。おれは全身の筋肉を緊張させて、背後から襲ってくる襲撃に身がまえた。
 が、おれの読みは甘かったようだ。いきなり絹のスカーフがおれののどにからみつくと、どえらい力で絞めつけた。眼球が眼窩からとびだし、舌が勝手に口から突きだした。おれはほんのすこしだけ、ふんづかまった猫のように暴れただけだった。
 耳鳴りがすさまじい轟音となって、頭の中の暗いしんで、真紅の花が次つぎに花弁をひろげた。おれは底なしの穴へ墜落していった。

     2

 ところで、おれのもうひとつの特技は、なかなかくたばらないということだ。おれは時として不死身になってしまうのである。
 不死身という評判をとる人間は、ただ単に悪運が強いというだけにすぎないのだが、おれはちがう。常人とはケタちがいに生命力が強いのだ。
 数年前、チンピラにナイフを腹につっこまれ、拳がすっぽり入るほどの孔をあけられたときも、病院へひとりで歩いていったくらいだ。そのときは、わずか二日間で退院した。看護婦が思いのほか美人だったので、もうすこし入院していたかったのだが、医師が妙な色気を見せだしたため、あわてて逃げださなければならなかった。
 おれの特異体質にひどく興味を持って、学会へ報告するなぞと吐かしたからだ。医者にしてみれば、麻酔なしの長時間の手術に平然と耐え、軽口をたたき、手術直後歩いて便所へ行こうとした患者は、読書するモルモットとおなじくらい珍しかったにちがいない。
 あいつは、首をちょん切っても、トカゲの尾のように新しいのが生えてくる、とおれは不死身ぶりを噂されている男なのだ。
 白状しよう。実をいうとおれは人間じゃない。
 おれは人狼なのだ。
 単に狼の特性を持っているだけでなく、常人にはないキチガイじみた超能力をいろいろ備えているが、不死身性もそのめざましい属性のひとつだ。くわしいことはいずれ書く。
 ともかく、一時間ほど後、おれは首のまわりにどすぐろい溝みたいな条痕を飾って、生きかえった。現場で発見されたときは、呼吸停止、瞳孔拡大、脈搏なしの、できあがった絞殺死体だったが、検死がすみ、いざこれから司法解剖という寸前、だれの世話にもならず、勝手に蘇生したということだった。
 さすがはプロの仕事で、絞め方は文句のつけようもない達者なものだったが、おれの生命力のほうが一枚上手だったわけだ。
 生きかえるやいなや、おれは待ちかまえていた警察の旦那がたの餌食になった。
 警察病院の医師は、文句をつけたかったらしいが、おれがたちまち元気を回復してしまったので、なにやら拍子抜けしたようだった。
 警視庁捜査一課の刑事連中は、おれの健康状態には一片の興味もしめさず、容赦なくおれを絞めあげた。
 話のようすでは、おれを絞め殺しておいて、殺し屋先生はセドリックとトランク内の死体を置き去りにし、逃走してしまったらしい。おれに追突されたセドリックは車体(フレーム)がゆがみ、トランクがどうしても閉まらなくなってしまったのだ。
 牛乳配達の若者が現場を発見したときは、犯人はすでにすがたをくらましていた。トランクにはまっ白な美女の死体、路上には白眼を剥き、ふくれあがった黒い舌をつきだしたおれの死体というわけだ。
 牛乳配達の若者は、当分悪夢に悩まされるにちがいない。できたらおれの死体を消しちまって、美女死体とふたりきりになりたいだろう。
 刑事連中は、おれの記憶を洗いざらい絞りとろうとした。だいぶ興奮していた。刑事だって、ま、人間にはちがいないし、男くさいところはたっぷり持ちあわせているというものだ。若い全裸の美女がヒロインの猟奇殺人となれば、自然に熱も入ってくる。
 それも新聞雑誌の見出し用の〈美人〉じゃない。ヤングメン向き雑誌のカラーヌードのページにもってこいの、掛値なしの美人だったからだ。
 刑事連がどやどや出て行くと、病室におれともうひとり、馬みたいに顔のながい男が残った。やはり捜査一課の刑事で、名前を牛川といった。以前からのちょっとした知りあいだった。
「なあ、ウルフ……」
 牛川刑事は、馬みたいに頑丈そうな黄色い大きな歯を剥いて、ニヤニヤしながらいった。下心あるか、あるいはおれに気に入られたがっている人間は、おれのことをウルフと呼んでくれる。おれに敵意を持ってるやつは、ワン公だとかイヌッコロとかいう。牛川刑事はもちろん下心があるのだ。
「あんたの話で、ちょっと気に入らないとこがあるんだけどなあ」
「なんです」
 おれは牙を剥いた。なにちょっとだけ、発達した犬歯をのぞかせただけなのだが。
「あんたみたいに車の運転のうまいのが、よりによっておかしなときに事故をおこしたもんだと思ってね。どうもそこがうなずけないんでなあ」
「出ものはれもの所嫌わず。交通事故だっておなじですよ。エドワード・ケネディだって事故をおこす。車は危険な乗物なんですぜ。アポロ宇宙船みたいにかねをかけてないんでね」
「おとぼけかい? おれはあんたの車に乗せてもらったことがある。十二年間無事故の腕じゃなかったのかい?」
 これだから刑事をうっかり車に乗せてやったりするものじゃない。おれはいやな顔をしてみせた。
「いったい、なにがいいたいんです?」
「いやなに。ひょっとすると、あんたはわざと例のセドリックのオカマを掘ったんじゃないかと思ってね」
 牛川刑事はじっとおれの眼の中をのぞきこみながらいった。
「いつから交通課にまわされたんです? それに、おれのブルSSSは任意保険に入ってないんですよ。これから修理代をせっせと稼がなきゃならない。安めに見ても、七、八万は吹っとんじまう。この泣きっつらを見てほしいな。その上首まで絞められておれののどは赤剥けなんだ。おまけとばかり、どこかの刑事が疑りぶかい眼つきでおれを睨んでやがる。まったくどうにもならない」
「わかったよ。そう泣き声を出すなよ。ちょいと気になってただけさ」
 牛川刑事はでかい掌で、つるりとながい顔を撫でた。そしてようやく腰を持ちあげた。
「ま、任意保険には入っといたほうがいい。運転者の義務だからな」
「保険会社は、運転者が首を絞められても保険金を支払ってくれるかな?」
「そいつはどうもムリらしいぜ」
 刑事は最後にジロリとおれを睨んで病室を出て行った。



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