e文庫


   蛇足     横田順彌

 こんにちは! ぼくヨコジュンです。また、でてきました。『超革命的中学生集団』は、おもしろかったでしょう。なにしろ、主人公がカッコイイですよね。同じ変身するにしたって、犬神明(ウルフガイ)みたいに毛むくじゃらの狼になるんじゃなくて、アイフルな女の子になっちゃうんだから泣かせますね。アイフルガイってシリーズを作りましょうか?
 ところで、物語が終ってから、なんでまた“あとがき”にまで、ぼくがノコノコでてきたのか疑問の方もあるかも知れませんが、これには深いわけがありまして、そのわけを書かせていただこうというのです。
 実は、ぼくはヨコジュンにはちがいないんですが、『超革中』のヒーローで天才マンガ家で、途中で女の子に変身してしまうヨコジュン――すなわち横田順弥とは別人なのです。
 では、ぼくがどんなヨコジュンであるかといいますと、本名を横田順彌というヨコジュンでして、小説のヨコジュンとは「彌」の字だけが一字ちがうヨコジュンなのです。もっとも、「弥」という字は「彌」という字の略字ですから、同じ字なんですけどね。おわかりになりますか?
 構田順弥は、作家平井和正が生みだした、小説上のヒーロー+(プラス)ヒロイン。横田順彌は、横田順彌の父と母の気まぐれによって予定外にデキちゃった実在のビンボー人なのです。少しは、おわかりになっていただけたでしょうか?
 あれは、想い起こせば、そう、いまから七年ほど前のことです。作者の平井和正が、当時SFマガジンのよからぬ愛読者が寄り集まっては、よからぬSFの話などをする、よからぬグループの集会「一の日会」の開かれている渋谷の喫茶店に、ウルフガイを上回るスケールの大きな小説のネタはないものかと顔をだしたのです。
 作者はその時、その仄暗い、ひなぴた、かび臭い喫茶店のすりきれかかったイスに腰をおろした一人の少年を発見したのです。少年は背の高さこそあんまり整っていませんでしたが、目鼻だちの整った上品そうな顔をしていました。よからぬ集会のメンバーにはふさわしくないムードを漂わせていました。そして、その少年は美しい容貌の中に、なぜか淋しげな暗いかげりを見せていました。
 作者はこの少年を一目見るなり、あたかも全身を強い電流で撃たれでもしたかのように激しいショックで身をふるわせたのです。といっても、うまく情況が思いうかばない方があるかも知れません。つまり、オシッコをがまんすると全身がぶるぶるとふるえることがあるでしょう。ちょうど、あんなふうになったのです。
「そうだ! この少年こそ、私が長い間探し求めていたものだ! この少年を主人公にして、単なるSFではなく、ロマンの香り溢れるソフトなお肌。大ラブ・ロマンスSFを書こう! そして、これをライフフークとしてノーベル賞をとるのだ。それがダメならノーベル賞飴を食べよう!」作者は心の中でこう叫び、外面的には大あくびをしたのでした。
 もう、いまさら、ぼくの口からいう必要もありますまい。でも、いっちゃいましょう。作者が心をときめかしたその美少年こそ、誰あろう? なにをかくそう、このぼく――ヨコジュンこと横田順彌だったのです。
 これで、おわかりになりましたですね。横田順弥は、このぼく横田順彌をモデルにして作られたヒーローなのです。そこで、それにしては『超革中』が、作者が心の中で叫んだようなラブ・ロマンスになっていないじゃないか、という疑問が起こってきますね。当然のことだと思います。ここに、ニクソン大統領もビックリするような大陰謀があったのです。
 作者がぼくと出会ってから、三年ほどの月日が流れました。ある日のことです。ぼくは友人に、朝日ソノラマ社から刊行された『超革命的中学生集団』というジュヴィナイルSFを見せられました。ぼくの名前がでているというのです。作者の平井和正という名前を見ても、ぼくはそれほど驚きませんでした。例のラブ・ロマンスSFが完成したのだと思ったからです。しかし、本をよく見ると、サブタイトルがハチャハチャSFとなっていて、イラストは永井豪。表紙の感じも、ラブ・ストーリイにしては、少々ハデです。一瞬、いやーな予感が、ぼくの頭の中を右に左に斜めに横にかけめぐりました。
 ぼくは、ふるえる手でパラパラとページを繰りました。そして、その内容は……。お読みいただいたとおりです。確かにぼくの名前(一字だけ、ちがっていましたが)はありました。そして、そのヨコジュンという名の登場人物は物語の主人公でした。でも、その扱い方といったら……。あんまりよ。ひどいわ、ひどいわ。
 ぼくは、この“あとがき”を書いている時点で、まだ今度のハヤカワSF文庫版のイラストを見ていませんが、前の朝日ソノラマ版のイラストの中には、主人公、横田順弥のオール・ヌード・シーンがあって、そこにはちゃんとオチンチンまで描かれているのです。なんということでしょう。しかも、それはモデルであるはずのぼくのものとは全然似ていないのです。知らない人が見たら、実在の横田順彌のものと誤解されてしまうじゃありませんか! 今度は、まさか、あんなシーンはないでしょうね。もし、描くんだったら永井豪さま、正確に描いてくれなきゃ困ります。ぽくのオチンチンは、もっと○○○○○で、いかにも○○○○○○○な感じのする○○○○なものです。
 話はもどります。なぜ、ラブ・ストーリイになるはずだった小説が、ハチャハチャSFなどに変わってしまったのでしょう。わずか、三年ばかりの月日の間に、人間の心がそんなに大きく変化してしまうものでしょうか? 作者平井和正の心の中に、いったい、どんな変化が起こったのでしょう。ぼくは、この謎に挑戦することにしたのです。
 いろいろ、調査を進めるうちに、どうも作者がなに者かに入れヂエをされたらしい、ということがわかってきました。そこで、ぼくの頭にパーッとうかびあがってきたのが、小説の中でアトラスXなるプロレスラーを演じている鏡明です。彼もまた、本名で登場し主役を食うほどの活躍をするわけですが、これが、どうも怪しいのです。それに彼は以前から、ぼくの美貌をねたんでいたからです。
「ねえ、平井さん。今度、あの横田順彌の奴めをボロクソにした小説を書きませんか? ウッヒヒヒ、あいつは、どうもハンサムすぎておもしろくないから……。ウッヒヒヒ」とかなんとかいったにちがいないのです。そして、そのへんで自動車にはねられて死んだノラ犬をはく製にでもして、「これは日本狼ですよ」といって、作者にプレゼントしたにちがいないのです。狼のはく製をもらった作者が精神的に激しく動揺し、いわれるがままになってしまったとしても、これはいたしかたのないことです。
 ストーリイは、鏡明の思うがままに進みました。そうなれば、ロマンの香り高いラブ・ストーリイになんてなるはずはありません。どう考えても、できあがる小説はハチャメチャです。モデルなら、渋谷の喫茶店にいけばいくらでもいるのですから、考える必要もないくらいです。ぼくの行動だけ創作すれば、あっという間にできあがりです。かくして、『超革命的中学生集団』は誕生しました。
 どうですか、みなさん!? 世間には陰謀がゴロゴロしているのです。時には、その陰謀によって一篇の小説さえ、できあがってしまうのです。なんとも、恐しい時代ではありませんか。
 そして、今度はついに、『超革中』がこのSF文庫に収録されてしまいました。文庫というのは大量販売を目的とした出版です。もちろん、この裏に陰謀があることはわかりきっています。でも、ぼくはどんなに鏡明にイジワルされようとも、歯を食いしばって耐えていくつもりです。それは、ぼくの信念とかなにかに起因するものじゃありません。写真を見てもおわかりのように、これほどの体力差があっては、どんな抵抗を試みてもムダとわかっているからです。
 それから、これは他言してもらっては困るのですが、ぼくはいま秘かにある計画をたてています。それは、ぼくも早く名のあるSF作家になって、『超革中』のキャラクターを買いとり、必ずや『続・超革中』を書いて報復攻撃をしようと思っていることです。
 もし、それがダメなら、自らこの『超革中』を巷間に宣伝して、大ベストセラーとなし、横田順弥でも横田順彌でもヨコジュンでも、なんでもいいから日本全国の有権者に名前を知ってもらい、次の参議院選挙に出馬しようかとも思っています。当選すれば、鏡明がどんなに大きくても、攻治力でかんたんに押しつぶすことができるからです。
 ですから、この“あとがき”を読んだ人は、この『超革中』を、家族や友人にも読むようにすすめてください。そして、年齢が若くて、まだ選挙権を持っていない人は、ごはんと栄養のあるオカズをたくさんたべて、早く歳をとっておとなになって有権者になってください。
 これがいいたいばっかりに、ぼくは“あとがき”を書いたのです。

[この“あとがき”はノンフィクションですが、フィクションが大部分を占めています。……横田順彌]




   蛇足の蛇足   鏡 明

 鏡明でございます。この本の登乗(とうじょう)人物は、宇宙人X及び数名を覗きまして、ほとんどが実罪のSFファンの名前になっているのです。本来なら、作者から名前の使用料として幾らか出させるべきではなかろうかと、名前の出演者一同で相談したのですが、平井さんはこのところダイエットの最中で、とてもそんな余裕はなく、何と数十キロもやせてしまいました。その内「ふとりながらやせるウルフガイ式ダイエット・ブック」を出して、美容評論家としてきっと一山あてるだろう、そのときになって使用料を巻き上げても遅くはない。今のところは取りあえず、出演者の中で身長の上限と下限の人が怪説を担当して、我々の名誉を守ることにしようということになったのです。(以上原文通り以下校正済)
 とはいいながら、実をいうとぼくは、そのようなことに関りなく、「平井和正における大藪春彦とレイモンド・チャンドラー」について大論文を書き、川又千秋の大評論のあとがまに売り込もうと思っていたのです。しかし横田順彌の解説を読んで、そのあまりの売名主義に、もはやそれどころではない、必ずや正義の鉄鎚を見舞わなくてはいけないと気付いたのです。野田大元師よりひどいじゃないか。そのうち、今開発中の少林寺拳法応用の豪華4の字固め跳び両膝げり脳天逆落しを食らわせてやるからな。
 だいたいヨコジュンが主人公であるという不条理そのものの本書については、当時の一の日会で非難の嵐だったのです。それこそ、陰謀がめぐらされていたのではないでしょうか。ぼくの乏しい脳ミソをフルに働かさなくても、その程度のことはすぐにわかるのです。作者の平井さんに聞くのも面倒なので、ぼくが勝手に代弁します。ヨコジュンが主人公になれたのはジンフィズー杯でグデングデンになり、女の子に抱きかかえられて帰宅する程度の体力。マスクとサングラスで何とか見られるようになる顔、立ってもすわっても変らない謎の身長、取り得は、ただババッチイ古本の山だけというヨコジュンに夢を与えてやろうという平井さんの暖かい親心の成せる業だったのです。
 きっと、ヨコジュンのことだから、ドブネズミのハクセイでも作って、日本超小型狼だなどと平井さんをだまして、ぼくにひどい役を押しつけようとしたに違いありません。しかし、悪は亡びるのです。最後に女の子とされてしまったのは彼のほうなのです。さすがは平井さん、彼に女装願望があることを見抜いていたのでしょう。
 それはそれとして、ひとまず当時の一の日会の話をしておきましょうか。
 一の日会は今でも続いていますけれど、場所も人も変ってしまって、その頃の面影はないのです。ぼくがはじめて顔を出したのはちょうど大学に入った年で、珈琲屋さんの扉を押して中に入ると、右手の奥に一の日会のメンバーがたむろしていたのです。みんな本当にSFの話しをしていて、今でもSFの世界というのはプロとファンの距離が近いのですけど、当時はもっと近かった。平井さんなんかも良く顔を出していました。今だに忘れないのは、ぼくが最初に平井さんに声をかけた言葉。「ねえ、平井先生、ヌーボロマンてどう思います?」なんて、恥かしいのです。答は忘れた。
 あの頃が、ぼくも含めてここに登場する人々にとっての、SFファン時代だったんでしょう。
 下駄ばきで、真面目そうな顔をしているのに、突如下らぬ酒落をわめき出すヨコジュン、サイレントスターなんてファンジンに珍らしくもシリアスなSF書いて、みんなをがっかりさせてたのを覚えてます。
 今や小田原に住んでいるのに、何故か東京にいるぼくの持ってないヒロイック・ファンタジーを東京で手に入れてしまう特技の持主、佐藤正明。すぐトックリのセーターを思い出すのです。
 最後に名前だけでてくる井口健二は、ちょっと遅れてきたんじゃなかったかなあ。映画気狂いと知ったのは、後のことなのです。
 彼らみんな大学生だったのが就職しちゃって、今やSFのほうでもプロみたいになっちゃった。
『醗酵人間』なんて信じられぬイモなSFを読んでいるのはぼくだけかと思ったら、ちゃんと読んでいて、「ケッケッ」と笑った綿引宏。ほんと、殿下って感じなんだ。日本もののコレクターだったね。
 うしろから見ると女の子で、前からはあまり見たくない林石隆。マッド・デンティスト(歯医者)なんてごめんね。彼も今や本物の歯医者さんとなって、日夜女子供をいじめているのです。
 ハナの田代さんは、もうぼくたちと付き合いがなくなってしまいました。
 以上、井口健二を除いた五人と、桑畑蓉子とぼくの七人は、この間活動を止めたSF倶楽部の創設メンバーなのです。
 女性にはあまり触れたくないけど、こわいから、ちょっとだけ。
 かなりひどい役にされてる桑畑蓉子は、ある日突然現われた人だったのです。実は英文タイプのプロだった。
 ヨコジュンのXXにさわった鴨木悠之子は、ぼくより昔からいたメンバーの人で、インカ帝国を卒論にしてた長髪の美(?)女なのです。何故かインカの初代皇帝の名は絶対に教えてくれない。
 カモに付きものはネギですけど、理科の先生として名前が出てくる根木お姉さんについては何もいわない。
 クラス委員の長井晶子は、長い間宇宙気流の表紙を書いていたけれど、この間、名字が変ってしまいました。相手はやっぱり一の日会の田島研一。よかったね。
 あと、国語の牧村先生てのは、知る人ぞ知るSRの会ではエライ人、一の日会では普通の人、マージャンやるとダメな人、お酒飲むとグジャグジャの人、牧村光夫のことなのです。この人に逆らうと、仲間外れにされてしまうほどの長老なのです。
 英語の伊藤先生てのは、もちろん伊藤典夫。抜き打ちテストやるほど陰険な人ではなくて、どちらかといえば、面倒臭いから定期テストもやめましょうというのが近いのではないでしょうか。伊藤さんはこの頃、すでに大プロでして、はじめて話したときは、とってもうれしかったのです。
 名前だけ出てくる岡田英夫、作品中ではうまいこと逃げたけれど、このぼくからは逃げられないのだ。就職五日目にしてすぐやめたエライ人。一時期、一の日会の女性のアコガレの的だったというけど、きっと嘘だろう。
 この他に川又千秋とか亀和田武とか、平井さんの魔の手からのがれた幸運な奴らはまだいるのです。でもまだ書き忘れた人がいたら、ごめんなさい。
 ああ、それから、平井番長というのは、他ならぬ作者その人なのでして、その先々代の番長の小松というのはきっと日本沈没の人でしょう。
 とまあ、こう見てくると、実にそのなつかしーい気分になってくるのです。中身はともあれ、ぼくたちにしてみれば、一つの時代がこんな形で残っているというのは、本当に幸運なのかもしれません。そうだろ、ヨコジュン。
 なんだか解説じゃなくなっちゃったみたいだけれど、最初学習雑誌に連載され、PTAから非難ごうごうだったこの作品(あたりまえだ)が、単行本になり、今度は文庫に入るなんて、とても奇妙な気持なのです。もちろん、登場人物のキャラクターが、すべてぼくたちそのままではないし、話だって、ひどい有様にされているけれど、それでもぼくは何とはなしに愛着を感じるのです。もしかしたら作者以上にね。
 いつかヨコジュンとぼくで、この続編を書こうかなんていったこともあったのです。平井さんを悪役にしてね。でも、もういいや。
 本物のぼくたちに会いたいなんて悪趣味な人がいたら、一の日会に来てごらん。話ぐらいならできるかもしれない。

〈1974年6月 「超革命的中学生集団」(ハヤカワ文庫SF)解説〉

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