月光魔術團の開幕
――放課後の少年少女たちへ
七月鏡一
ぼくはいつも思っている。
誰にでも、少年期に出会うべき小説が必ず一つはあるんじゃないかと。
ぼくにとってのそれは平井和正のウルフガイ・シリーズであり、またアダルト・ウルフガイシリーズだった。
少年ウルフこと犬神明に出会ったのは今から十数年前、ぼくは中学の二年だった。
その頃、クラスの中に三人くらいは必ず、休み時間や放課後に体育館に遊びに行かず、教室で文庫本を広げて読みふけっているヤツがいた。今でもそんなヤツいるんだろうと思うのだけど、ぼくはそんな中学生の一人だった。
読んでいる本は司馬遼太郎だったり新井素子だったり筒井康隆だったり栗本薫だったり、とにかくさまざまで、そんなぼくらの乱読のラインナップの中で、ひときわ特別な輝きを持っていたのが平井和正だった。
「狼の紋章」「狼の怨歌」「狼のレクイエム」――――
それはウルフガイ・シリーズと呼ばれるSFアクション小説であり、とてつもなく悲しく、比類なく美しく、何者にも勝って激しい情念の物語だった。
初めてそのシリーズの第1巻を手に取った時、ぼくはたちまちにしてその平井和正というSF作家のしかけた魔法に魅入られた。
それはとてつもない魔法だった。
開いた文庫本のページがそのまま四角い巨大な窓(ウィンドウ)と化し、ぼくを異世界へと引きずり込む。脳裏が真っ白に灼熱し、心臓は稲妻のように高鳴り、全身の血液がどくどくと沸騰する。眼は一瞬たりとも活字から離れず。ページをめくる指は停まらないくせに、読み終える瞬間が来るのを恐怖しているこの矛盾。
こんな凄い小説があったのか!
見えるのだ。挿絵一つない文章の隙間から、少年犬神明の強い野性の輝きをたたえた眼が。
そして作品世界を疾走してゆく登場人物たちのなんと生命力と魅力に満ちていることか。
不敵な面構えと猛烈なバイオレンスの下に人としての矛盾を抱え、彷徨いながらも闘い続ける殺し屋、西城恵。
報われぬ愛に殉じて走り続け、ついにその生命を散華させる美少女工作員、虎四(フースー)こと林芳蘭。
どいつもこいつも愛しくてたまらないキャラクターたち。
ああ、こんなヒーローたちの物語を書きたい。こんな激しい情念を文字で世界に刻みつけてみたい。
そんな衝動にかられて、初めて学校の宿題ではなく原稿用紙に何かを書き始めたぼくは、いま漫画の原作を仕事にしている。
ぼくが少年漫画雑誌で「ジーザス」という作品の原作を手掛けた時、まず念頭にあったのはウルフガイ・シリーズのような灼熱した情念をぼくの中から引きずり出したいという想いだった。
その想いは今でもぼくの中に巣くって、ぼくを突き動かしている。
一冊の小説が人の生きる軌道に影響を与えることは、確かに存在するのだ。
いつだったか、いま第一線でマンガに携わっているマンガ家や原作家の友達ととりとめもなく馬鹿話をしていて、ヒーロー原体験の話題になったことがあった。その時もやはり同世代のクリエイターたちの口から犬神明の名が特別な響きで語られるのを聞いて、改めてぼくらの世代における平井和正とウルフガイのパワーに思いをはせた。
いま、そんな小説に出会うことは滅多にない。そんな超絶のエンターティンメントに出会える事は滅多にない。
考えてみれば25年に渡って第一線で、若い少年少女の世代に読みつがれるSFアクション小説自体、希有な存在なのだ。
最初は「ぼくらマガジン」誌上において、故坂口尚の作画による漫画として「ウルフガイ」は生まれた。その後、ウルフガイは小説に生まれ変わり、ハードカバー、文庫、新書と出版社と装丁を幾度か変え、いま徳間ノベルスに全シリーズが収録されている。そして、こうした経緯を知らない若い世代の読者に新刊として読まれ続け、魔法をかけつづけているのである。
平井和正という作家のパワーのげにまっことすさまじきこと。
それは、平井和正の握りしめている“少年”というキーワードと決して不可分ではないような気がする。平井和正ほど“少年”にこだわった作家は実はいない。
「スパイダーマン」(作画・池上遼一)の小森ユウ、「ウルフガイ・シリーズ」の犬神明、「幻魔大戦」の東丈、「地球樹の女神」の四騎忍、「ボヘミアンガラス・ストリート」の大上円。すべては平井和正が人間の精神の光と闇を、いたずらに俯瞰して諦観することなく、その混沌とした狭間に自らを潜りこませて何かを掴もうとしてきたその軌跡である。
彼ら平井ワールドの“少年”たちの眼が持つ輝きは決してありきたりで類型的なものではない。それは常に深い洞察によって裏付けられ、つねに最大級の情念を孕んでいる。そしてそうした眼の輝きにもっとも敏感に反応出来るのが、まさしく10代の多感な世代の読者たちなのだ。ぼくもそうだったように、何かの情念にかつえている若い者こそがこの情念を最も強く受け止める事が出来る。
あえて断言するが、平井和正の作品はすべて超絶の青春小説であるのだ。
平井和正は、自身の作品において長く追求して来た人類の精神の暗黒をハルマゲドンというヴィジョンに凝集させ、「幻魔大戦」を生んだ。やがて平井和正はハルマゲドンのヴィジョンを超越するために、“ボーイ・ミーツ・ア・ガール”という鮮烈なヴィジョンを握りしめるにいたる。これは一つの到達点であると同時に新たなスタートラインでもあった。「幻魔大戦」で作品世界から消失した東丈こそは、そのヴィジョンを手に入れるために旅立った平井和正自身ではなかったのか?
その答えは「地球樹の女神」の四騎忍から、「ボヘミアンガラス・ストリート」の大上円という“少年”たちのラインによっても明確でもある。ここで平井和正の“少年”はついに自身を補完しうる“少女”と出会い、そして両者の激しくも純粋な熱愛こそが世界をも救う事が出来るという力強い解答を物語に提示する。しかもその解答はすさまじい情念を持ってぼくらの胸に突き刺さる。
これが魔法でなくてなんだろうか。
しかも、なんて素敵な魔法なんだ。
さて――――
いま、ぼくらの目の前に新たな物語「月光魔術團」が幕を開いた。
今度の主人公の名は犬神明(メイ)(!)。なんと女の子だ。それもただの女の子じゃない。「狼の紋章」の博徳学園に輪をかけたとんでもない暴力学園に舞い降りた(殴り込んだというべきか)、爆裂の天使だ。
とんでもないバイオレンス世界(麻薬密売人やレイピストが横行し、銃を隠し持つ生徒までいるという、「狼の紋章」の博徳学園に輪をかけたような、ケイオスの支配する暴力学園)が舞台だというのに、彼女の身にまとう風のすさまじい爽やかさはなんだろう。
考えてみれば「狼の紋章」の陰鬱な空気はそのまま悩める少年犬神明(あきら)のトーンだった。しかし少女犬神明(メイ)は、どんなバイオレンスゾーンにもダンスのステージのような風を呼ぶ。少年犬神明が鬱々と悩んで遠ざけていた部分を犬神明(メイ)は自分から渦中に飛び込んでいって意外な方向にズドーンと突き抜けてしまう。その行動は常に不敵な微笑みとともにあり、痛快なまでに確信愉快犯的でさえある。まるで少年ウルフが博徳学園時代に過ごした陰鬱な学園生活の仇を打つために登場したような、そんな気さえする。
なんて魅惑的な少女なんだろう。
そう惚れ惚れとすると同時に、ぼくは疑問に突き当たる。
なぜ少女なんだろう? これまでの平井和正のキーワードは“少年”だったとぼくは書いたばかりだ。
しかし読み進むうちにぼくの疑問は氷解した。
ぼくはいつの間にか彼女に恋をしている自分に気が付いた。活字の向こう側からこっちを見て不敵に笑う、輝きに満ちた眼に魅せられている自分に気が付いた。
その眼の輝きにぼくは見覚えがある。
あの日、少年ウルフ犬神明が行間からこっちをちらりと見た時と同じ、ぼくの中の“少年”を昂らせずにはおられない、野性の生命の輝きだ。
そうか、ここにいるんだ。この少女の中にいま、“少年”はいるんだ。
ぼくはまた平井和正にとびきりの魔法をかけられてしまったようだ。
しかも、この物語はいま始まったばかりと来ている。
あとは前をしっかり見据えてこの物語と取っ組み合うだけだ。
放課後に、休み時間に、この本を教室の片隅で開く少年少女よ。
いるんだろ?
そこにいるんだろ?
さあ、前を向いてベルトを締めろ。とびきりのジェットコースターが動き出した。
がっちり本を掴んでないと吹き飛ばされるぞ。
いや、吹き飛ばされたって構いはしない。
それこそが至高の読書体験というものなんだから。
〈「月光魔術團Vol.1 春の魔法使い」(アスペクトノベルズ)解説 1996年6月〉
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