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平井和正の海の色は七月鏡一
某月某日―――― 長い坂を登った住宅街にある一軒の家の前に、ぼくは立った。 呼び鈴を鳴らすと、やがて平井和正さんが目の前に現れた。平井さんは、最近お気に入りらしいデジタルカメラを手にして終始笑みを浮かべておられた。 「実はいま、小説を全然読まないんですよ。マンガばっかり読んでるんです」 と、開口一番に聞かされ、当然と言えば当然のごとく、話は主にマンガやアニメの話題へと流れていった。 「『ダイターン3』の最終回! あのダンディズムはたまらないね」 「『ガンダム』を最初に見たとき、コクピットで震えてるアムロを見て衝撃を受けたんだ」 「やっぱり士郎正宗の描く女の人のセクシーさったら、アニメの『攻殻機動隊』じゃ再現出来なかったねえ」 「小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』は、ピーチクパーチクさえずるだけの文筆家どもを一撃で蹴散らすパワーに満ちた大傑作だよ」 「細野不二彦の『ギャラリーフェイク』は文芸に真似出来ない世界を切り開いているよね」 「『エイリアン通り』を読んだ? あれ、いいでしょ」 「『エヴァンゲリオン』は…… まだ神様が見ろって言ってないんだろうねえ」 などと濃ゆい発言を聞かせて頂くうちに―――― ぼくが平井さんに、これまでに読まれたマンガの中で、オールタイムでのベスト1は何ですか? という質問を発してみたところ、 「うん、手塚治虫さんの『ジャングル大帝』ですよ」 という答えが返ってきた。 「中学生の頃です。昼休みになるや、私は校門を脱兎の勢いで飛び出すんです」 平井さんは目を輝かせて語りはじめた。 「行き先はもちろん本屋です。その日発売になる『漫画少年』に連載されてた、『ジャングル大帝』を誰よりも早く読みたくて。そして、本屋を出るやページを開いて、歩き読みしながら帰ってくる。丁度往復で一時間かな。弁当食べてるヒマなんかないです。帰ってくると、そろそろ午後の授業が始まって、もう教室に先生が来ている。雑誌を背中にぐいっと突っ込んで隠して、すいません便所行ってましたぁとか言いながら教室に入って行くんです」 中学時代の平井少年の姿が目に浮かぶようである。 ぼくは、かねてから思っていたある質問をぶつけて見た。少年ウルフガイ完結編『犬神明』における西城恵とBEEのラストシーン。極寒の凍土にて足止めを食らい、BEEの鮮烈な自己犠牲の言葉が吐かれるあの場面。あれは…… あの場面は…… ひょっとすると……? 「そう! 『ジャングル大帝』なんですよ! あれは私の中の手塚治虫さんに対する最大級のオマージュなんです!」 やっぱりそうだったのか! とぼくは膝を打った。 気づいてる人は気づいてるはずである。平井作品の中には、好きなマンガ作品に対するオマージュが隠し絵のように仕込まれている。もちろん、どの箇所がなんという作品からである、というような絵ときは個々の読者が裏ワザとして楽しめばいいのであって、本文の主旨ではない。 ぼくが言いたいのは、平井和正の中に流れている物語作家の血は、マンガの潮流から流れ込んでいる結晶が大きいと言うことなのだ。それは平井和正がかつて「エイトマン」「超犬リープ」「エリート」「デスハンター」(作画・桑田二郎)、「ウルフガイ」(作画・坂口尚)、「スパイダーマン」(作画・池上遼一)、「幻魔大戦」(作画・石ノ森章太郎)といったマンガ作品の原作者でもあった事と無関係ではないだろう。 例えば――――平井作品の文章は読者の脳裏にありありとした視覚的ヴィジョンを映し出す特徴を持っている。各章の切りには必ずヒキを用いて、読者がページを閉じて視線をはずすことを許さない。そしてその筆致は常にキャラクターの魅力を描き尽くす事に向けられ、物語の核としての徹底的なキャラクターイズムが貫かれる。 極端な話、平井作品は一種のマンガの文法に則って書かれているとも言える。 平井作品のマンガ化を希望するマンガ家は過去に何人もいたし、明らかに平井作品の影響下にあって生まれたマンガも少なからず存在する。マンガ家は平井和正の中にあるマンガの血を鋭敏に嗅ぎ取っているのだ。 そのマンガの血は、平井和正の少年期の原体験である手塚治虫から流れ込んだものだ。 平井和正は中学時代、手塚作品に触発されて始めての小説を書いた。平井和正の最初の読者はクラスメートたちであった。『消えたX』というタイトルのその作品は一大ハルマゲドン小説であり、後年の『地球樹の女神』へと結実してゆく種子であり、数々の謎と魅力的なキャラクターを配して毎回の引きも工夫を凝らした堂々たるエンターテインメントであったと、過去に平井和正自身が述べている。 手塚治虫は間違いなく日本におけるマンガとアニメーション、そしてSFの黎明期にジャイアント・インパクトを与え、その後の大きな流れを生み出した巨星である。外国人に、なぜ日本人は大人になってもマンガを読むのか? と質問された時、われわれには手塚治虫がいたからさ、で十分に解答になるくらいだ。(いささか私事だが、ぼくは小学生で手塚作品に触れてド下手なマンガを描き始め、中学時代に平井作品に触れて小説もどきを書き始め、いまでは文章でマンガに関わる原作者となってしまった人間である) 自身がマンガ原作を多く手掛けていた頃の事についても、平井さんは語ってくれた。 「私がマンガ原作を始めた時、小池一夫さんのようにノウハウを確立してくれた人なんかいなかったんです。手さぐりで自分なりのノウハウを見つけてゆくしかなかったんですよ」 今日のマンガにおけるストーリーテリングを方法論的に分析すれば、最も基本的にして最大のものはキャラクターイズムという概念である。それは「キャラクターこそが命である」と、マンガ原作というジャンルの最大の開拓者の一人である小池一夫氏によって定義づけられた概念である。(「月光魔術團」3巻の梶研吾さんによる巻末寄稿を参照) 平井和正は、このキャラクターイズムとマンガにおけるストーリーテリングの手法を自身のマンガ原作経験の中から試行錯誤してつかみ取り、それを自らの小説の中に吹き込んできた。余談であるが、小池一夫氏による漫画家・原作家の実戦的な養成講座である劇画村塾のテキストには、キャラクターイズムに満ちているが故に読者の心を離さない小説の代表例として平井作品のタイトルも挙げられている。 「うん、キャラクター。そして、キャラクターは一人じゃ立たないし、物語は動かないんですよ。だから私の小説では、つねに個性の異なるキャラクターたちがぶつかりあうのを描く事でストーリーが生まれてゆくんです」 平井さんはそう語る。 『地球樹の女神』で「書きたくなかった小説」と銘ふられた章を読んでみれば、平井和正の見つめている物は明らかだ。平井和正は、ストーリーの展開を描きたいのではなく、人間たちの情念の燃焼を描きたいのだ。平井和正は、物語をキャラクターたちの情念から紡ぎ出す事にこだわりたいのである。 さて―――― 少年ウルフガイの完結編、『犬神明』は壮大な二重螺旋の構造を持つ物語である。 まず一本の螺旋は、犬神明とマーの対決をクライマックスに置く、少年の成長の旅路である。マーは言うまでもなく慈母と魔女の双面を持つ大地母神(グレートマザー)イザナミであり、犬神明は哭きいさちる神にして神話の英雄スサノオである。犬神明の旅路は、底深い黄泉比良坂をくだり、自らの出発点にして常に自分を呪縛していた母ロイスに出会って、それを克服する旅路であった。「少年ウルフ」の物語は、犬神明が少年期に幕を引く事によってのみ完結し得たのである。(平井さん、曰く「そう考える人も当然いるだろうねえ」) そしてもう一本の螺旋は西城恵とBEEの物語である。BEEはもう一人の犬神明であると同時に、物語全体を通しての決してくびきに置くことの出来ぬ野性のメタファーでもある。西城とBEEの対峙は、ウルフガイシリーズの孕んでいたテーマの一つである人間と野性の対峙を突き進めて具現化したものだ。この「西城とBEE」の対峙は『ジャングル大帝』における「ヒゲオヤジとレオ」に重ね合わせる事も出来るだろう。 ここで平井和正が二十五年に渡って書き続けて来たウルフガイ・シリーズを、少年英雄譚の原型である神話と、自身の原体験である手塚治虫へのオマージュに収斂させた事は、平井和正の中に流れている物語作家としての血の本質を示して象徴的である。 平井和正ほど“少年”にこだわった作家は実はいない――――と、ぼくは第1巻に寄せた文章で書いた。ぼくはこのポイントこそが、平井和正とマンガの関係を述べるのに決して無視出来ない、重要な要素であると考え続けている。 メインカルチャーである文芸の多くが熱を失い、ごく少数の傑作を除いて読者が離反していったにも関わらず、マンガはつねにサブカルチャーの立場から貪欲なまでにエンターティンメント性を求め続け、読者を獲得して来た。現在ではあらゆる世代に読まれているマンガではあるが、そのマンガのメインターゲットは常に少年少女、若い世代でありつづけた。彼らの魂をぐいっと鷲掴みにして引きずり込むことが、マンガ創作者たちが日々脂汗を流して、歯ぎしりしながら睨み続けてきた事だ。常に第一線にありたいと走り続け、晩年の病床においてもペンを握り続けた手塚治虫もまぎれもなくそんな創作者たちの一人である。 ぼくは平井和正の目にそんな創作者たちと同種の強い炎を感じている。 平井和正は古い読者を切り捨ててゆく作家とも言われている。当たり前である。 「実は、毎週『ドラゴンボール』を見ていたんだ」と語り、半ば冗談めかして「いろいろと研究させてもらったよ」とも語る平井和正は常に若い読者、少年少女たちの感性にこそ勝負を挑みたいのだ。 いつだって熱い情念(パトス)に満ちた物語は、少年少女たちのものだったではないか。 そうでもなければ、『月光魔術團』の例えようもなく爽快で小気味よく、そしてすんごくエッチな言霊が平井和正のところにやってくる訳がない。『月光魔術團』に登場する美女・美少女たちに注がれる視線がこんなにときめいてる訳がない。 だから、平井和正はいつだって現在進行形の、青春小説の作家でありうるのだ。 それこそが最大の魔法だって、指摘する人はあまりいないのだけれども。 長い話を終えたのち、平井さんはふっと息を緩めて、『月光魔術團』の今後の構想について語り始めた。実はすでに第1期のかなりの分量を書き上げていること、このシリーズは『犬神明』『ボヘミアンガラス・ストリート』を遙かに越える大長編になると言うことを聞かせていただいた。ううむ、まだこの時点で序盤なのか。 ぼくが、蜷川をいぢめないで下さい、それからメイをお嫁に下さい、などと無茶を言ってるうちに、平井さんは身を乗り出して―――― 「実は、書き進めてゆくうちに、最近分かってきたんだ。メイがこの物語の中で抱いている使命がね…… それは……」 なんと、実は犬神メイは * * 七月が更にキーボードを叩こうとした時、背後に音もなく忍び寄っていた何者かの容赦ない延髄切りが首筋に炸裂した。よろめいた七月の胴にその細い腕が鞭のように巻きついたかと思うと、信じ難いまでに強力な背筋のバネが七月を椅子から宙に持ち上げた。 そのまま反り返って、脳天から床に叩きつける凄絶なバックドロップが決まった。 きゅう、とのびてしまった七月はテンカウントを取るまでもなく―――― だーっ! と勝鬨を上げる細身の少女の豪奢なライオンヘアが、薄れゆく脳裏に映った最後の光景だった……
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