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●登場人物一覧
●立ち読み 一九九九年五月二十五日。 その日は本郷素子にとって最良の日といえた。十数年にわたる作家生活の中でこれほど誇らしいことはなかった。 ホテルの玄関口には続々とタクシーが乗り着ける。彼らがタクシーを降りるとドアボーイは待ち構えたように颯爽とドアを開け、招待客が入ってくる。本郷素子はその光景の全てが今自分のためにあるのだと思うと、興奮が抑えられない。 なにもパーティが初めてというわけではない。自分が主催するにしろ、出席するにしろ、むしろ彼女はパーティを好んだ。その日のパーティは、彼女がいつもするものより会場が広かったとか、高級だったとかいうこともない。肝心なことはいつもよりグレードアップした出席者の顔ぶれであり、なにより誇らしいのはその横断幕なのだ。 某老作家はにこやかに祝辞役を務める。 「エンターティンメント、もしくは大衆娯楽作品というものと純文学というものの線引きをどこに求めるか、いや、線引きを求めること自身に無理があるのだとか、今、日本の近代文学史上かつてなく、それこそ雨後の筍を思わすほどにミステリー作家が輩出するようになり、改めてそんな議論する向きもございますが、」 各出版社よりそれぞれ編集者数名。有名人多数。雑誌記者がいつもより多かった。そして他の小説家のパーティに比べて、同業者よりタレント、有名人が目についた。その日の招待客の中にはいくつものベストセラーを持ち、大きな文学賞の選考委員を務める大御所作家が多数見受けられた。そんな中でこの老作家はここぞとばかり誇らしげに、手垢を超えて雑菌と体温の果てに黴さえ生えていそうな言葉で会場を飾っていた。 「それでも純文学という言葉の持つ独特の吸引力には、作家というものは抗えないものでありまして、それは古今東西、厳粛なる事実なのでありまして、」 あるエンターティンメントの作家は鼻で笑って隣に立つ編集者になにやら耳打ちし、それに対して編集者は笑ってみせた。 老作家は壇上でちょうど殺風景な女の髪に彩りの花を散らすようにジョークを挟んで笑いを誘う。それはある有名な小説の誕生秘話で、その著者はすでに全文書き上げていながら、書き出しの一文の、二つの修飾語のうちどちらを先に置くべきかでなお三年悩みぬいたというもので、彼がそれをジョークとして持ち出したことにあからさまに不快の表情を浮かべたゲストもいたが、ほとんどの参加者たちは老作家の祝辞など聞きとがめるほどに聴きもせず、こと本郷素子に至っては、てんから聴いてもいない。 「この本郷先生がこの『花の人』という小説で一つの転機を迎え、本人さえ認識していなかった潜在的能力をここに開花させ、純文学作家としての第一歩を――」 彼女は七五三を祝う少女のように、ただ隣に晴れがましげに立っている。 四十歳を超えたばかりの本郷素子はまだ十分に若かった。醜くもなかった。文章も下手ではない。しかし彼女の若さといい容貌といい作家としての実績といい、そういう彼女の要素の全てが彼女の望む晴れがましさや称賛にはいつも不釣り合いだった。彼女のパーティではいつも、招待客が主役の興奮に共に陶酔するには何かが不足する。特にその日はそうだった。 壇上の老作家はユーモアという知性を自分はちゃんと心得ているとばかり、まくし立てている。しかし痩せぎすなその老作家が、その長い挨拶の中で聴衆の笑いを誘ったのはただ一点、「本人さえ認識していなかった潜在的能力」の一言だけだった。もちろん当人としてはその言葉をユーモアのつもりで言ったのではない。加えていえばその笑いは彼が自分の挨拶の中に欲しかった会場を包む暖かなものでもなく、ある種の冷笑であったことに、本郷素子は気づいていたが気にしなかった。 彼女はその日そこに集まっていた誰の目も、思惑も、気にしなかった。 なにものも回ってくるときには回ってくる。彼女には金も名誉も成功も間違えて送られてくる郵便物のようなもので、自らの能力に係わらずある日突然舞い降りるものなのだ。それが彼女の簡潔な人生観だった。そして誰も、彼女にそれ以上の人生観など求めようとはしない。彼女はただ、その席に立つことが嬉しかった。自分の名がその本の背に打たれて書店に並ぶということが嬉しかった。収入は、かつての作品、すなわち小説でもエッセイでもなく、社会派という名のもとに吐き出されるゴシップの拡大版のようなノンフィクションが稼ぎ出す方が遥かに多い。それでも「純文学」という言葉は彼女を陶酔させた。 マイクの前の老作家は機嫌良く言葉を重ね、本郷素子はただそこに顔を紅潮させて立っている。その老作家の話の間にどこからか無遠慮に聞こえてくる、グラスがテーブルにあたる音、フォークが皿にあたる音、雑音の中に時折混じる、祝辞とは無関係に発せられる笑声、そして遅れて続く追従笑い。少なからぬ人々の表情にあるものは祝福とはほど遠い。それでも彼女は構わなかった。その時彼女に見えていたものはその会場の中央の丸テーブルの上にしつらえられた豪勢な花であり、横断幕に書かれた「祝『花の人』新世紀文学賞受賞」の文字であり、そこに自分の名が書かれているという現実だった。彼女は今、自分の身にふってわいた純文学作家の名に酔いしれていた。 回ってくるときには回ってくる。渡り鳥だって時には海の上に浮かぶ思わぬごちそうの上に羽を休めるチャンスを持つことがあるだろうように。そしてそれはたぶん、一回でなく、複数回なのだ。誰の人生にだって、複数回なのだ。 老作家がパーティの主役にマイクを譲った時、本郷素子は壇上で低い地響きのような歓声に迎えられた。彼女はその声を聞き、一同を見回して、満面の笑みで挨拶をはじめた。それは「花の人」が出版されて三年目の初夏だった。 同年同月 和歌山県。 白浜の海を臨む断崖に男が一人立っていた。 空は雲を浮かべて晴れ渡り、海が水平線でその空と接する。紀伊の明るい日差しを受けて松の緑は一層艶やかだった。 その片隅、断崖へと続く小道のそばに小さな祠(ほこら)がある。そこには擦り切れて輪郭を失った地蔵たちが忘れ去られたようにあった。 鼻のとれたもの、顔の彫りの消えたもの。首にかかったエプロンの朱色さえ色あせている。十五、六体のその地蔵の間には木の墓標が何本も突き立っていた。木は日に焼けて、風雨に黒くただれ、その木に書きつけられた墨字の文句ももはや判別できない。それはまるで数百年の年月をここに過しているようであり、地蔵を含めて祠全体がここに放置されているようだった。 海は白く輝いて、遠く水平線の彼方まで視線を遮るものはない。男はその祠を背に海を見つめていた。 波が断崖に幾度も寄せては返していた。水面は日を照り返してガラスの粉をまぶしたように輝いていた。海はその光の幕の下に幾億年の闇を抱えて凪いでいる。 男はゆっくりと顔をあげた。そして再び目を瞑る。大地の鼓動に耳を澄ませるように、さざ波の音の中に小さな産声を聞き分けようとするように。 無造作に伸びた髪が突然の風にあおられて吹き上がった時、男の左目の斜め上に古傷が一本、眉を横切るようにあるのが光に浮き立った。 やがて彼はまぶたを開いた。海の照り返しがその瞳の中にまで写って、彼はこの世の全てを見定めようとするかのように無心に視線を広く水平線に向けて投げた。 凪いだ海にはなんの痕跡もない。ただ静かに、水が久遠の時に飽きたようにたゆとう。 男はしばらくそこに立っていた。そしてやがて立ち去っていった。 三村幸造が新文芸社の文芸誌「新文芸」の編集長に昇進してはや一年半が経った。 当然の人事ではあったが、本人には奇妙に醒めたものがあった。出世に欲がなかったわけではない。男であるから悪い気はしない。実際家族も喜んだ。昇進の夜、普段はすれ違いばかりの上の娘は、風呂上がりの濡れた髪のまま居間に顔を出して「おとうさん、おめでとう」と一言言って忙しそうに部屋に上がった。今年大学に入ったばかりの下の娘は新しい名刺を珍しそうに眺めながら「編集長の上は何?」と問うた。二人の娘が部屋に引き取った後、妻がテーブルに残された名刺を手に取って、「副って一文字が取れるだけでこんなにすがすがしいものかしら」とポツリと呟いたのは、子育てを始めとする家庭の些事に一切関わらなかった夫を持つ自分自身に対するねぎらいだったような気がした。しか昇進の興奮は始めの三ヵ月で消し飛んだ。その三ヵ月で彼が学んだことは、文芸誌の編集長などなるものではないということだった。 大体が売れない。売れなくても各出版社の文芸雑誌はその社の顔であり、ステイタスであり、ゆえに企業が野球チームを持つように、利潤を度外視した存在であるから始末が悪い。エンターティンメント系の小説誌でさえ社の収益の足を引っ張る存在だというのに、その五分の一も売れない文芸誌は、まさに出版社の意地以外にその存在理由がないとまでいうやからもいる。漫画と女性誌で稼いで文芸誌で損を出す。資本主義的企業倫理から言えば即刻廃刊であろうその部署が、「我こそは文芸なり」とプライドばかりが高いから煙たがられる。 赤字覚悟で利潤システムが働かないことがはじめからわかっているのだから売名的ボランティアだと位置づけた方が物事はスムーズであり、現に、かつての三村がそうであったように、文芸編集者のほとんどがそういう浮き世離れした哲学的境地で仕事をしている。文芸誌編集部にも売り上げ数字は、毎月カタカタとファックスを鳴らして販売部から下りて来る。しかしここはそのような下世話なことに関わってはいない。そもそも文学は、競争原理とは相いれないものであり、商業主義を導入すれば根腐れを起こして消滅する。それを、売り上げを競うなどと、目抜き通りのファーストフードじゃあるまいし。 「文学は売れない」が転じて売れないから文学だなどという開き直りが横行し、いつしかマイノリティーであることに美徳さえ感じるような風潮が作家の中に蔓延して、結果、文芸作品は存在そのものに意義があるなどという、一見哲学的な物へと押し上げられた現代の文学の位置に、みな危惧を抱き落胆はしていても、彼ら文芸部のスタッフが文芸小説を過酷な消費文化の中に投ずる気のないことは明白なのだった。彼ら文芸部のスタッフは自らの使命を、売ることにでなく守ることに見いだしている。井戸の水を次世代へと守り伝えること――しかし編集長になって初めて三村は、文芸小説雑誌編集部にも「売り上げ」という言葉がホコリをかぶった死語ではなく未だ強大な力を誇って存在していることに気付いたのだった。そして同時に、毎月カタカタとファクスを鳴らして舞い降りてくる数値を、現実の恐怖として――例えば頭の芯が軋むような実感を伴う恐怖として――理解するのはただ一人編集長だけである、すなわち「売上部数」などという芸術の敵とは編集長ひとりが戦わなければならないということを痛感したのだった。 毎月カタカタとファクスを鳴らして舞い降りてくる数値はインクの染みなどではなかったのだという厳然たる事実。 かくして三村は、六千部の売り上げをあわよくば七千部にという不毛な挑戦に一人血道を上げなければならなくなったのだった。 毎月販売部数が数字で現れるから、その明確さゆえに「頑張れ」という社長からの叱咤激励が現実感を持っているというよりむしろ強迫的でさえある。部数が伸びないのは作家がいい作品を書いてこないからなんですと、部数会議でいえるものなら言いたいところだが、そこは暗黙の了解で既成の事実であるから、いまさらなにを言っているんですか、それを書かせるのが編集者でしょと一蹴されるのがおちだから言えない。 昔三村がヒラの編集者として文芸誌の編集に携わっていたころは、文芸雑誌の意味は、作家に発表の場を与えるということだけでなく、連載小説を載せて、本にするべき質のいい長編作品の供給源となるということもあったのだ。しかし数字が絡むと様相は変化する。連載小説ばかりだと売れないものがますます売れない。そこで読み切りの短編を多くし、そのかわりエッセイをとりあえず連載ものにして、あとから本になるように算段する。大作家が死ねば、頭をひねってそれらしい「追悼特集」を組む。数字という魔物の前には編集長は「俗物的」という汚名をほぼ一手に背負わなければならなかった。 連日の会食に夜のスケジュールは埋まり、パーティには颯爽として姿を出さねばならず、会社では多数の作品について載せる水準に達しているか否かの決定をしなければならず、しかし回ってくる原稿全部に目を通す時間もなく、結局三十年に及ぶ編集者人生で培った勘と担当者の意気込みや顔色で判断するしか手はない。なぜ小説の中身でなく表紙のデザインの決定に半日を費やさなければならないのか。数字に追われ、気難しい部下に追われ、わがままな作家連中に翻弄されて、その上編集長職というのはミスがないように気を配り、人をうまく、すなわち不満を抱かせないように器用にそつなく動かす社交術のようなものが要求された。それは彼のもっとも不得意とするところだったのだ。 彼は小説が好きだった。そして小説を書く人種に愛着を持っていた。会社の方針が、持ち込み原稿は読まないと決まってからも彼はそれを無視して、何かの縁で彼の手に渡った原稿は読んで返事をした。人は彼を昔気質の編集者といい、不器用と言い、偏屈と言った。しかし彼自身は作品の中に才能の底光りを見いだし、鶏が卵をかえすように、金の卵が殻を破って世に飛び出すまでを温めてやる、その仕事が好きだったのだ。 事実彼が世に送りだした作家は数知れなかった。彼らは売れてしまえばいつしか育ての親である三村という編集者の名は忘れていく。それでも彼はそういうことを気にしなかった。彼には自分が送りだしたという自負だけで十分だったのだ。売りだすまで引き上げて、そして忘れられていく。それこそが編集者の本分であるとさえ思っていた。ただ文学に魅せられた、右も左も分からぬ埋もれた才能を、世間へと導く杖となる。そのためには飯も喰わすし酒も飲ますし職も世話するしアパート探しまでしてやった。そうやって大切に、彼はその才能を育てるのだ。彼はそういう自分の職業に対する姿勢に誇りを持っていた。 だから彼が人事異動とおぼしき時期の前に社長室に呼び出され、次期編集長の職を打診された時には、予期していたとはいえどこかで本当にたじろいでいた。そして帰りの電車の中でぼんやりと考えたことは、編集長の任を解かれた時、すなわちクビになった時の次のポストのことだった。 三ヵ月で職を解かれる編集長など業界にはごまんといる。まあ、次のポストがどこであろうと本を作ることにさえたづさわっているのであればそれでいいではないか。 その三村が就任してはや一年半を迎えている。そして毎日を作家やその関係者との会食と連日の会議と社長の強迫的な激励の返答に追われている。 根が頑固で片意地だから、売らなくてもよい喧嘩を売って、言わなくてもいいことを言ってはいつも崖っぷちにいる。嘘と追従が下手で、思わぬところで窮地に落ちたりもする。しかしそういう彼の実直さを珍しがって後押ししてくれる人もいる。庇護者がいて敵対者がいて、なんだか戦国のようでもあり、それでも彼は編集長としての期間を長らえて来た。最近では少々要領を覚え、右から左に隣に皿を回すように副編集長に仕事を回すことにも慣れたし、部下の振り回すほぼ高圧的とさえ言える文学論を、突っぱねず、関わらず、うやむやにしながら宙に浮かす術もほぼ完璧に手にいれた。その電話はそういうある日の、ある朝にかかってきた。 それは日差しの強くなりはじめた、六月の始めの月曜のことだった。 三村は朝一番の編集会議を終えて、十一時に席に戻り、原稿の山を横目に新聞を広げていた。価値のある作品がその原稿の山の中に紛れている可能性は極めて薄い。だとすればこの小説の山を束ねて一冊の冊子を刊行しなければならない自分としては、どんな化粧を施せばその不足分を誤魔化せるのか。 新聞の広告欄に、彼がかつて育て上げた作家の千枚の長編書き下ろしの広告が他社大手出版社から打たれていた。最近では小説の新聞広告に作家の顔写真まで載せる。悪趣味だという声もあれば、ないよりは講読意欲をそそるだろうという消極的賛成者もいる。だからと言って小説が面白くなるわけでないことだけは確かだ。その書き下ろしの著者は人のいい奴だったが頭は悪かった。人がいいだけでは小説なんぞ書けやしない。千枚の原稿となると、話しの辻褄を合わせるだけでも大変だろう。面白くないのは読まなくてもわかる。この詐欺のような作品にこんな誇大広告をかけて、かの社はどう元を取るつもりだろうか。それとも購買者に対する会社ぐるみの詐欺だろうか。ちょうど見せ物小屋の呼び入れ文句のような。 三村がその電話を受けたのは、この男の救いは自分が作家であると錯覚できる無神経さなのだとつくづくと懐かしくその顔写真を眺めていた時だった。 「三村さん、お電話です。広瀬さんて方」 広瀬という名前に心当たりはなかった。 「男の方です。三村編集長をとご指名で」 三村は受話器を上げた。 「わたし、正徳病院の内科部長をしています広瀬というものです」 四十前後の男の声だった。口ぶりには教養が感じられる。しかし三村には、そんな名の病院にも、広瀬という医者にも心当たりがない。 面識のない人間から指名で電話があった場合、相手はすぐに用件なり事情なりを切り出すものだった。しかしその男は、三村が「どういうご用件でしょうか」と問うほどの間をあけた。そして三村がそう問うてもなお、男は困ったように間を取っていた。 「はあ、それが……」 どうやら彼自身、かなり困惑しながらここへ電話をしたように思われた。 かつてある女性が、ある大作家の新しい作品が自分とのプライベートな関係を取り扱ったものであるから慰謝料をくれと電話をしてきたことがあった。某作家の作品は盗作である、何故ならばわたしはかつてそれと全く同じものを読んだことがあるのだと滔々と弁じたてた初老の男性の受け答えもしたことがある。彼らはこのようには淀まない。紙に書いてあるものを読むように無感情に趣旨が一貫しているか、状況を判じかねるほどに感情的にまくし立てるかなのだ。 男は一息の間を置いて、言った。 「唐突で申し訳ないのですが、高岡真紀という女性をご存じないですか」 三村はしばし考えた。しかしその名は記憶の片鱗にもない。 「いえ。記憶にありませんが」 男が受話器の向こうで小さくため息を漏らすのが聞こえた。それは妙に同情心を起こさせた。同情心と言うより、彼自身の困惑が三村の気を引いたのだ。 「失礼ですが、どういうことでしょうか」 責めているつもりはなかった。ただ、電話をかけてきておきながら、自分の困惑に気を取られていっかな事情を説明するという所にたどり着けない相手の男に対する少々の苛立ちはあった。男は気配を察してちょっと慌てたようだった。 「いえ、それならいいんです。全く見当違いな電話を差し上げたらしい。実はうちの患者の一人に突然小説を書きはじめたという女性がいまして、少々心理的に不安定なところのある患者でしてね、その彼女が原稿をあなたに送ると言ったもので……」 「僕を知っていると?」 「はあ。高岡真紀って言うんですけど」彼はその漢字を説明した。高い低いの高に岡本なんかの岡、真紀は政治家の田中真紀子の真紀なんです。その声の調子は田舎の青年を思わせた。それであてもないのに三村もちょっと考え込んだりもした。 「高岡真紀――」 「ええ、三十半ばですが三十前後にしか見えません。小柄な美人ですよ」 三村は一息考えたのち、「申し訳ありませんが、心当たりはありません」と言った。全く心当たりがないのだ。男はあっさりと引き下がった。 「それならいいんです。いえ、彼女の持ってきた『緑色の猿』という小説が素人離れしていた上に、彼女があんまりはっきりとあなたの名前を言うものですから、医者として妙に気になりましてね。ちょっと事実関係を知りたいと思った次第です」 不意に三村は遮った。「今なんて言いました?」 瞬間男の当惑が感じ取られた。三村はたたみかけた。「その小説の題です」 「『緑色の猿』です」 ――緑色の猿 男は続けた。 「なんだか不気味なんですが、怪奇小説でもない。なんていうんでしょう、懐かしいような、黴臭いような、押入れの隅に忘れられていた蒲団のような匂いのする作品。遠い昔の郷愁とでもいうんでしょうかね」 ――真夜中に視線に気づいて顔を上げると緑色の猿が部屋の片隅からじっとこちらを見ている。三村の脳裏に、その作品の一節がはっきりと蘇った。忘れ去った記憶の扉が不意に開けられたようで、三村は一瞬どこかに引き込まれるような気がした。 「ペンネームは来生恭子。来るという字に生きるという字を書いてきすぎと読むんです」 男がその名を言った時、三村は反射的に目を瞑っていた。丁寧な漢字の説明は頭上を通り越していく。 底のない谷を挟む崖の両端にいるような気がする。かの小説の言葉が頭の中に溢れ出る。それは遠い記憶ではなく、今耳元で朗読されるようだった。一語一句、なんの曇りもなく蘇る。もしもしと電話の向こうで相手が言葉を促していた。 あれは過去なのだ。三村は目眩のような感覚を覚えながら、出来る限り穏やかで善良な声を繕った。 「失礼ですが」 彼は目を開けると、にこやかに、しかし断固とした声を繕った。 「先生、正徳病院の内科部長とおっしゃいましたね」 三村は自分のそういった物言いが相手にいかに威圧感を与えるものかをその三十年の編集者としての歴史の中に知っている。それに対して男は良心的に追加した。 「はい。神戸の正徳病院です」 三村は再び衝撃を受けた。神戸――新幹線で三時間半の距離。禁煙の窓際。出来れば二つ並びの席、空いていませんか。彼女は新幹線の予約窓口でいつもそう言っていた。三村は無意識に声をすべらせた。 「ではその女性も」 男は神妙に答えた。 「はい」 三村は動揺をひた隠しにして極めて事務的に答えた。 「ではなにかの思い違いでしょう。そのような女性に会った記憶もないし、名前にも心覚えがありません。お役に立てなくて申し訳ありませんが、どういう事情かこちらでもわかりかねます」 三村はいぶかしげな相手を残して、ご用件はそれだけでしょうかというと、と受話器を置いた。静かに。心のどこにも響かぬように静かに。 三村の心のどこかはいまだ痺れたままだった。目の前にはさっき見ていた新聞が広げられたままにある。ざらついたその紙には懸命に聡明さを演出して遠くに視点を合わせている間の抜けた男の顔が印刷されている。その隣のページに帝京出版の新刊の広告が紙面下五段を占めていた。 本郷素子『花の人』新世紀文学賞受賞! 女流作家ならではの新鮮で繊細な感受性が紡ぎ出すこの…… 三村は虚ろにその紙面を眺めていた。 来生恭子――遠い昔に封印したその名前。肉体がいずれ分解されてその実体を失うように、時間が分解したと信じたその名前。それはやがて無に帰るまで、永い眠りについている。 三村は忘れようとした。 T作家はいまだに自分の長編を載せてくれとごねている。女流作家のMは、座談会に彼女が出るならあたしは出ないと言ってきた。広告部から、今月号の広告に商品の定価ミスがあったから至急差し替えたい連絡が入った。M作家はかつて、ガルシアマルケスの「百年の孤独」を、「百年の狐」と思い込んでいた作家だった。狐を信仰する部族の神秘的な物語だと信じ、あのネーミングがいいと感嘆しきりであった彼女に、依頼した今回の座談会の議題は「中南米文学の源流」だった。思うに、彼女は次には名前の順番にこだわるだろう。こっそり自分用の台本を欲しがるかもしれない。いや、気を利かせて台本を渡すとひっくり返って怒るかもしれない。賞味期限の切れかけた作家にその事実を通達するのも編集長の役目だろうか。会議に出たあと作家との食事を済ませ、会社に戻ってほろ酔いの頭で机に積まれた原稿に深夜まで目を通す。翌日は担当編集者を変えないかぎりお宅の雑誌には小説を書かないと言う作家の元へ機嫌を取りに行った。社に帰ってみると、お宅はいつから右翼になったのかと苦情の電話が来ていた――三村が再びその名に記憶の扉をねじ開けられたのは数日後、その医師からの電話が奇妙な夢を見たかのような錯覚に姿を変え初めていたころだった。 三村は一通の茶封筒を受け取った。 それはB4サイズの用紙の入る茶封筒だった。裏には住所が丁寧に書き込まれている。 神戸、そして差出人は高岡真紀。 中にはワープロで書かれた作品が入っていた。四百字詰めの原稿用紙に直すと三十枚ほどの短編だった。一番上には題名とペンネームが書かれた白い紙が乗っている。 『緑色の猿』 来生恭子 三村のどこかが再び現実感を失った。 彼は作品をめくった。それは間違いなく彼女の作品、彼女が八年近くも前に書いた初めての短編『緑色の猿』だった。彼女はこの作品にご執心だった。そんな猿を見た事があるのかと三村は問うた。イエスと言えば精神科にでも連れて行かなければならないかと思ったものだ。しかし彼女は笑っていいえと答えた。そのくせ「ではなぜ緑色なのですか」と問えば、「だって、そうだったんですもの、はじめから」と困ったように答えた。 三村は彼女のその様子をはっきりと思い出す。見たのですかと重ねて問うた。彼女は困ったようにいいえと答える。どうしてそんなことを聞くのかというように怪訝げに語尾をちょっと上げて、その仕様があどけなく、まるで彼女自身が小さな置物のようにも見えた。目元は大きくくっきりとして、瞳を見開いた子猫を思わせる。 三村は思い出すのだ。そのままそっとポケットに入れてしまいたいほど可愛いと思ったあの日のことを。 三村は心を奮い起こした。この作品がどうして人の手に渡ったのか。彼女は自分の作品を人に見せない人間だった。そしてこの作品を含め、彼女の書いた全ての作品はまだあの部屋に眠っているはずなのだ。三村は高岡真紀という、その送り主の名を見つめた。広瀬という医者の電話が蘇る――高岡真紀という女性をご存じですか。 何故高岡真紀という女は私の名を知り、この原稿を持ち、かつ来生恭子の名を知っていたのだろうか。 白い紙に書かれた来生恭子と言う文字が三村を見上げていた。 三村にはそれがあの恭子自身に見えた。彼女がそこに佇んで、じっと自分を見つめているように思えた。あの『緑色の猿』の中の猿のように魂だけに化身して、責めるでもなく、すがるでもなく、どこか遠い所から投げかけられたようなガラスのような静謐な光をもってただじっと自分を見ている。 誰かが彼女の姿を借りている。そしてわたしを愚弄している――そして三村は不意に思った。いや、責めていると。 高岡真紀と書かれた名前の隣には正確な文字で電話番号が記してある。その正確さはあたかもどうぞ間違いなく連絡が取れますようにと願をかけているようだった。見た事のない筆跡だった。その字を見た時、彼の中にぽつんと怒りが灯った。 彼女の名を騙る者がいる。 三村は受話器を上げて、記載された高岡真紀の番号を押した。 はいと出たのは女だった。 「新文芸社の三村というものですが、高岡真紀さんはご在宅でしょうか」 女は自分の名を知っていると言っていた。そしてこの小説は雑誌「新文芸」編集部宛てではなく、三村を名指しして送られてきた。この女には何かの意図があるのだ。 「わたしが高岡真紀ですが」 聞き慣れない女の声がする。白い紙の中で来生恭子という文字がじっと三村を見上げ続けていた。 078というボタンの位置は三村の指に馴染んで今も忘れることはない。もうこの呼びかけに答える人間はいないのだとわかっていながらそれでも電話を鳴らしづつけたあの日々を三村は思うのだ。あの思いを、今、この電話の向こうにいる女が愚弄している。三村は丁寧で物柔らかな声を出した。 「原稿を送っていただきましたね。『緑色の猿』という作品」 「ええ」女の声は取り澄ましていた。 出版社に原稿を送り、編集者から返事をもらう時、人はひどく緊張するものだ。プロの作家でさえそうなのだ。一言一句を聞き逃すまいと張りつめて、その懸命さが微笑ましいときもあれば重い時もある。しかし今、この見知らぬ声を持つ女には、その緊張感がかけらもなかった。まるで当然の電話を受けるかのように。三村は強い不快感と不安を覚えた。 「送っていただいた小説なんですが、あれはあなたがお書きになったものですか」 女はその問いに驚きもしなかった。彼女はさきと同じく、ほぼ横柄にさえ聞こえる語調で「ええ」と答えた。間の抜けた聞き方だったかもしれない。そう感じていながら、三村はもう一度問いかけていた。「あなたがお書きになったと?」 女は今度ははっきりと答えた。「ええ。あたしが書きました。それがなにか」 怒りが突き上げた。同時に彼女の挑発に乗ってはならぬと自身の中から声がした。 『緑色の猿』は来生恭子の作品だ。すなわちこれは間違いなく挑発なのだ。三村は語調を変えた。 「面白い作品でした。一度お会いできませんか」 「ありがとうございます。そうしていただければ光栄です」 プラスチックのような冷たい肌触りの感謝の意だった。そこにはなんの緊張も困惑もない。 「いつがご都合がよろしいですか」 「わたしの方はいつでも結構です」 日時と時間を指定する間も、女はただ「ええ」と「はい」と「わかりました」と答えただけだった。三村はぼんやりと考えた。彼女はなぜ嘘を付くのか。そしてなぜわざわざ自分の元にあの小説を送りつけてきたのか。 連絡をしてはいけなかったのかもしれない。このままうやむやにするべきだったのかもしれない。 来生恭子という文字が、それでもじっと三村を見上げていた。 高岡真紀がやって来たのはその週の金曜だった。 三村は新宿東口の駅ビル八階にある喫茶店を指定した。そこは編集者が人と待ち合わせるのによく使う場所であり、十年前来生恭子と二度目にあったのもこの喫茶店だった。最初は出版社に訪ねてきた。応接室で待つ彼女を初めて見たとき、その屈託のない美しさに、このような人が小説なんぞ書くのだろうかと驚いたことを今もはっきりと覚えている。二度目に会ったのがこの喫茶店だった。三村は時間に少し遅れて行った。彼女は俯いて、彼に送った原稿のコピーを熱心に見返しているようだった。三村はたった一度しか会ったことのない彼女を見間違えることはなかった。彼女は人の気配がするたびにそうしていたのだろう、彼が入り口に立つとはっと顔を上げ、それが三村だとわかると大急ぎで立ち上がり礼をしたのだった。あれから長い時間がたった。それでもあの時の彼女の横顔も服装も、その座っていた位置さえ忘れることはない。そして今あの日、来生恭子が目に鮮やかな黄緑色のワンピースを着て座っていたちょうどその場所に、一人の見知らぬ女が座っていた。 女は三村を見ると立ち上がった。 年の頃なら三十過ぎ、ちょうどあのころの恭子と同じ年頃だった。女はまっすぐに三村を見ていた。まるで以前から彼を知っているように。 「高岡真紀さんですか」 彼女はあの、電話で聞いたのと同じ、どこか取り澄ました声ではいと答えた。それきりなにも言おうともしないし、問おうともしない。ただじっと三村を見据えている。 三村は背中に水が流れるように冷えるのを感じた。高岡真紀という女性は確かに三村には見たことのない女性だった。しかしその物腰、瞳の光には覚えがあったのだ。 「原稿、読んでいただいたそうですね」 「ええ。読みましたよ」 「どうでしたか」 その目は力を帯びて輝いていた。いまにも躍りかかりそうな気迫に満ちている。それを見つめるうち、眩暈がするような気がした。三村は少し歩きたいと思った。 「場所、変えませんか」三村はそういうと彼女をそこから連れ出した。そして彼女がそこから立ち上がり、ゆっくりと歩き出し、斜め後ろを歩く高岡真紀というその女が左足を引きずっていることに気づいたとき、三村はまるで背後に悪魔を連れているような錯覚に捕らわれた。恍惚として再び現実感を失っていく。彼は辛うじて平静を装った。 三村はしばらく歩くと彼女を広くて人けの少ない喫茶店へと連れて入った。 彼女は座るなり、問うた。「どうでしたか」 三村は距離を置くように、ゆっくりと答えた。「ええ。よく書けていました」 女は満足そうに微笑んだ。 三村の、彼女を見る視線は冷たかった。不安があり、不気味さがあり、そして愚弄されていることへの憤りがあった。三村はその視線で彼女の嘘と演技を見極めようと懸命に彼女を観察していた。しかしその彼の態度も、女は気にする風はなかった。 「あたし、何度も書くのをやめようと思ったんです。それでもね、こんなことを言うと笑われるかも知れませんが、私が作家にならないことは私の不幸ではなく、必ず、文芸界、活字文化の大きな損失になる。自分のために書いているんじゃないんです。書くべきだと思うから書いているんです。あたしは一流の作家になりたいとは思わない。二流は一流の下だから二流というのもおこがましい。それでも三流と呼ばれるのはしゃくに触るから二流半の作家になりたい。読者を活字文化へ導くような、マンガや映画から、文学への架け橋になるような、そんな作品を書きたいんです。机の前で読む作品でなく、五百円ぐらいの値段でバスを待つ間にちょっと読みたくなるような、そしてああ、活字で書かれたものも結構面白いんだと思って、若い人を活字の世界へ引き戻すステップになるような。だから私が作家になることは活字文化にとって大切なことなんです」 あなたたちは今、人が読みたいと思っている作品について誤解している。読みたくないから読まないんじゃない、読みたいと思う作品がないから読まないんだ―― 彼女は憑かれたように喋りつづけた。彼女はコーヒーを頼んだ。そしてそれにミルクと砂糖を入れてかき混ぜた。そして一度もそれに口をつけない。それを三村はじっとみていた。彼女は座るなりかばんを、空いている隣の椅子の上ではなく自分の足元に置いた。口調は活力に溢れ、態度は自信に満ち、大きく見開かれた目は燃え立つようで、話す間その力のある瞳を一時も彼から離すことはない。三村はそのすべてを食い入るように見ていた。そしてその視線にあるのはもはや冷たさではなく怯えと葛藤だった。 恭子と同じだ。鞄を足元に置く癖、いつも決まったようにコーヒーを頼み、ミルクと砂糖を入れ、そのくせ席を立つ直前まで口をつけないこと。そしてこの女はあの十年前、来生恭子が言ったと同じことを言ったのだ。同じ瞳の輝きを持って、同じ語調で――あたしは一流の作家になりたいとは思わない。二流は一流の下だから二流というのもおこがましい。それでも三流と呼ばれるのはしゃくに触るから二流半の作家になりたい。読者を活字文化へ導くような、マンガや映画から、文学への架け橋になるような、そんな作品を書きたいんです。あの日、来生恭子も同じことを言ったのだ。ほとんど初対面の彼の前で、自分が作家になることは人類の為だと公然と言い放ったのだ。 それは一人の女の身のほど知らすな暴言とは一線を画していた。時として作家はそういう間欠泉を吹き上げるのだ。作家は――真正の作家は、ある種狂人だと三村は常々感じていた。かれらは時々磁場に入り込んだように日常的な自分の姿を失う。そういう時の彼らはあらゆる計器を誤作動させているようにさえ感じる。彼らの直感を言葉に直すと、途方もなく妙なのだ。彼らは常に言葉にならないものを抱えている。長い編集者生活を通して、三村はそれこそが作家に特有の性質なのだと思うようになっていた。そして最近では、そういう破綻の見える作家に出会うこともない。あの日の彼女には、編集者の魂のどこかを揺さぶる狂信的な熱情があった。そして今、この見知らぬ女はあたかもテープを回すような正確さでその時を再現している。あの日から九年の歳月が経っていた。 三村は目の前の高岡真紀と名乗る女に言った。 「この作品からは作家的才能を感じます。成功するかどうかはわからない。でもやってみる価値はあると思います。今すぐ作家になれるというというわけにはいかないが、努力すれば可能性は――」それらしい言葉を並べてみただけだった。混乱が彼の言葉をその場逃れなものにさせていた。その瞬間だった。彼女はその燃え立つような瞳を瞬間ふときらめかせ、彼をまっすぐに見つめ、囁くような声で、しかしはっきりと、彼の言葉を遮った。 「あなたがわたしを作家にしてくれるんじゃなかったの?」 低い声だった。女の目は三村の芯を捕らえた。その瞳はその一瞬笑ってはいなかった。その時彼の脳裏に残ったのは、この世のものとも思えぬ冷たい響きだった。 あなたがわたしを作家にしてくれるんじゃなかったの 聞き誤ることのないその言葉。三村は背筋までが凍りつくようだった。その女の瞳の冷たさが彼をどこか地獄の底へ――そんなところがあるならば、間違いなくそこへ――引き込もうとするようだった。三村は視線を外したいと思った。しかし女の瞳は彼をつかんで放さなかった。三村は金縛りにあったように、彼女から、その言葉を吐いたその女から、視線を外すことが出来なかった。 三村の脳裏に彼女が蘇る。 ホテルの部屋に入るなり無造作に靴を脱ぎ捨てる。鞄をベッドの足元に置くと、ベッドの端に腰掛けながら時計とピアスを外し、灰皿を引き寄せてその中に時計を置く、そのカラリとささやかに響く聞き慣れた音まで。 彼女は枕を床に放り投げる。ベッドカバーを引き剥がして床に落としてしまう。平たいベッドにうつ伏せに寝ころぶのが好きなのだ。枕を床に落とすことがなんだか不道徳なような気がして、三村は落とすあとからついて回るようにして拾ってはソファに置きに行った。ベッドの足元にたまったベッドカバーを拾ってソファの上に置いた。恭子はそんな三村に気兼ねもせずに、頬を冷たいシーツにくっつけて気持ち良さそうに目を瞑っているのだった。その寝顔を見る時間が短くなることが惜しい気がして、一晩中眠ることもできなかったあの日々。 目の前の女は恭子よりも五つは若かった。最後に会ったとき、恭子は若く見えたがもう四十にもなろうとしていた。恭子は茶色い柔らかな髪をしていたが、女は少女のような張りのある艶やかな髪をしていた。恭子ほどに長い指もしていなかったし、女は恭子より鼻筋が通っていた。体の線も恭子より肉感がなかったし、思い起こせばいくら彼女をなぞらえてみせても、恭子の動きの優雅さのかけらも彼女にはない。それでもその瞬間、恭子が本当にここにいるような気がした。何かが自分にいま再び、彼女をここに見せているような気がした。 何故、あの時彼女が告げた夢と野望を語れるのだ。同じ目をして、同じ興奮をもって――十年前のあの時を――一塊の情熱であったあの女を。 憎しみでも怒りでもない。胸をえぐるような郷愁が五十歳を越えた三村に襲いかかった。 天井の低い部屋を怖がった恭子。 黄色い色調の明かりを怖がった恭子――彼女は現実の向こう側の闇を見るのが好きだった。特に彼の知る最後の頃の恭子はそれに取りつかれた感があった。 今、もし彼女がここにいるというのなら、そう――あの世界が黄色い色調のあかりに彩られ、彼女が怯えて泣いているのだとすれば―― 彼女がじっと三村を見ている。 彼は嘘ではなかったと心の中で恭子に言った。 私は嘘をついたのではない。地位を理由したのではない。持てるもの全てを利用しただけだ。 目の前の女はその三村に対してにっこりと笑った。――知っているのよ、その心の奥の奥まで――奔放で無邪気な笑みは、まるでそう言っているかのように、どこか小悪魔のような残忍さをほんのりと匂わせていた。 (続きは製品版でどうぞ)
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