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1999年、突如来寇した“幻魔”の前に、人類は終末を迎えた。しかし一縷の望みを託して、時間跳躍者(タイムリーパー)“お時”は、幻魔に対抗しうる強靱な超能力者の種を蒔くため、過去へと旅立つ! すべての幻魔ワールドを産み出す起点となる作品、全1巻!! 東丈の過去生・由井正雪も登場! ●目次 第一章 エド一九九九年 第二章 ミュータントお時 第三章 超能力者の血 第四章 魔人・正雪 まえがき〈1978年7月 「新幻魔大戦」(TOKUMA NOVELS)まえがき〉 あとがき〈1978年7月 「新幻魔大戦」(TOKUMA NOVELS)あとがき〉 別のあとがき〈1980年10月 「新幻魔大戦」(徳間文庫)あとがき〉 自筆年譜〈1980年10月 「新幻魔大戦」(徳間文庫)掲載〉 あとがき 『続・新幻魔大戦』――書かれざる物語〈1987年3月 「新幻魔大戦」(角川文庫)あとがき〉 平井和正「幻魔」を語るPART1〈1991年7月 「新幻魔大戦」(リム出版)掲載〉 ●立ち読み 第一章 エド一九九九年 1 天空に凄絶な炎の瀑布がかかっている。 それは、さながら火の津波である。宏大な武家屋敷が、その豪壮をきわめた館のあらん限りを炎に変え、身もだえし、のたうっている。 江戸が燃えていた。大火につきものの、激烈な火嵐が生じていた。凄まじい火勢が疾風を呼び、炎に一嘗めされたあらゆるものが、火薬のようにたやすく火を噴きだすのだ。 もはや逃れる途はなかった。逃げ惑う群衆の動きは、影絵のように薄墨色に見えた。おびただしく発生するガスが、濃密なスモッグさながらに視界を閉しているのだ。 強烈な刺激性のガスに肺胞を冒され窒息した人々が、地上に弱々しくのたうっていた。毒ガス燻蒸を受けた虫けらのようにもがいていた。だが、その苦悶ももう長くはない。やがてそのあたりは焼却炉と化してしまうからだ。みずからも炉の燃料となるのだ。 烈風が轟々と江戸上空をどよもし、咆え猛る。炎の津波が緩やかに渦巻き回転しながら、無数の火の粉をどっと放射する。 頭上の空一面に、散開した火の糸が、恐ろしくも華麗な死の模様を織りなす。 そして、ざあーっと無気味な音響を発して、火の雨が降り注いで来た。 悲鳴と絶叫が奔った。 全身の衣服から火を噴いてよろめき倒れる男。頭髪を青い炎に変えて狂いまわる女。すでに横たわり、メラメラ燃えている性別もつかぬ死骸。さらに、それらの上に、火炎樹と化した武家屋敷の巨木が、奇怪に身をよじらせつつ、どっと陥ちこむ。人型の炎の群れから異様な叫喚が湧き立った。 これは悪夢だ、と、わたしは錯乱した頭で必死に考えた。 だが、これは、わたしの悪夢ではない! 違うのだ! だれか、他人の見ている悪夢なのだ。わたしは、他人の悪夢の中に閉じこめられてしまっている。 その証拠に、恐怖に狂乱しながら、むごたらしく焼死して行く群衆は、江戸時代の町人の身なりをしていた。 これはなにかの間違いだ。この強烈な真紅の光に照らし出された見知らぬ悪夢の世界に、わたしはなにひとつ関わりを持たないはずだ。わたしが生れる数百年も以前の世界に、関わりを持ち得ようはずがないではないか…… にもかかわらず、呼吸もできぬ苦悶は、まぎれもなく現実のものであった。肉体を灼き焦がす火熱と濃密な煙の幕。これが夢だというのか? この肺をえぐる耐えがたい苦痛、全身からすべての水分を蒸発させ、枯枝のように燃えあがらせようとしている圧倒的な熱気が、ただの夢だというのか…… 鼻と口からとめどもなく粘液を流しながら、息も絶えだえに咳きこみつづけるわたしの肩を、不意にだれかが強い力で掴んだ。 ああ、あの方だ! わたしの思考は混乱しきっていた。なぜかわたしはそのひとを知っていたのである。 町方与力の山本千之介さまだ! 異邦で、愛する人にめぐりあったとほうもない歓びと懐しさがどっと湧き起り、心を満たした。 「お蝶! 俺といっしょに来い。俺はお前をたすけてやる!」 と、山本さまは叫んだ。わたしは死にもの狂いで、山本さまの力強い腕にすがりついた。 この悪夢の奇妙な多重構造。わたしの名はお蝶ではない。だが、それで理解の光が昏迷した脳裡に射しこんだ。 山本さまを知っているのは、別のわたしなのだ。その別のわたしの悪夢の中に、このわたしは閉じこめられているのだ。 未来におけるわたしと、現在におけるわたし――この両者の意識がいりまじってしまっているのが、奇妙な混乱の原因なのだ。 山本さまは強い力でわたしをひきずるようにして、どこかへ連れて行こうとしていた。わたしは必死に山本さまの腕にしがみついていた。わたしの心は甘い歓喜に痺れていた。もう死んでもいい…… そのとき――炎と煙の混乱の中に、あの女の顔が現われた。 わたしの顔を持った女! 山本さまはひどく驚愕して、わたしの腕をはなしてしまったほどであった。 「お前か、お時! お前だったのか!」 山本さまの口から叫び声が漏れた。目が爛々と輝いていた。烈しい情熱の奔流が山本さまの貌をみるみる青年のそれに変えた。 「間違いない! お前はお時だ!」 「お蝶をおはなしください。わたしがこの娘を連れて行きます」 と、わたしの顔をした女がいった。 「お時、俺はお前を捜しつづけていた。この二〇年というもの、ずっとだ……」 山本さまの声音は、深いところから噴きこぼれてくる感動に震えていた。 「これが最後です、山本さま。もう二度とお目にかかれますまい」 女の指が、わたしの手首にからみついてきた。 「待て、お時。どこへ行く? お蝶をどこへ連れて行く気だ?」 「さようなら、山本さま。これでお別れです……お時はずっと山本さまをお慕いしておりました」 哀切な声音で女はいった。深い嘆きがこもっていた。 「これが宿命だったのです。お時にはどうすることもできませんでした……山本さまは与力のお殿さま、わたしは女賊のキリシタンお時……所詮、どうにもなりゃしません。でも……もし、わたしに使命がなかったら……」 「お時、行くな。そっちは火の海だ。焼け死んでしまうぞ!」 山本さまは鋭く絶叫して、女に手を伸ばした。女の小紋の袖口をしっかり握った。 「お前はいったい何者だ、お時! いや、そんなことはかまわぬ! お前が女賊であろうと、きりしたんばてれんの妖術使いであろうと、そんなことはもうどうでもいい! 俺は二〇年も待ったのだぞ! 二〇年もの間、俺はお前を一刻として忘れたことはなかった! それなのにお前は、このまま永久に消え去るというのか?!」 山本さまの両眼は、若者の純粋な怒りに輝いていた。駄々っ子のように激しく頭を振った。 「行かせるものか、お時。逃がしはせぬ。いまこそお前は俺のものだ!」 「山本さま……」 目が激しくからみあった。凝縮された情念の激突であった。 その瞬間――目もくらむ恐ろしい明るさの中で、すべての動きが停止した。生き物のような炎の舌先すら凍りついた。時の流れが淀み、しんと凍てついた悪夢の光景。 再び火炎が生きかえったとき、山本さまの姿はすでになかった。山本さまのみならず、逃げ惑っていたおびただしい群衆が、掻き消したようにひとり残らずいなくなっていた。 無人と化した路上に、放置された荷物や荷車だけが火を吐いていた。四方を完全に炎に包囲されて、わたしとお時という女だけが取り残されていたのだ。 わたしたちの眼前に、巨大な塔のように、人のかたちをした火柱が立ちはだかっていた。炎の巨人である。 五〇メーターもの高みから、燃えさかる異様な巨顔が見おろしていた。逆立つ真赤な炎の髪が天空を灼きこがしている。 心臓を喉から掴みだされるような思いがした。この炎の巨人はまぎれもなく生きていた! 火熱にも優る凄まじい邪悪な害意が押し寄せてきた。魔性のよこしまな炎の怪物。 怪異な巨顔が物凄い哄笑に歪んだ。ついで天空を覆い尽して真赤な巨躯がのしかかってくる。とほうもなく巨きな炎の掌が、わたしたちを一掴みにしようと降りてくる。 わたしは絶叫をあげて逃げようともがいた。が、お時という女がわたしを行かせてくれなかった。わたしをしっかりと捕えてはなさないのだ。あまりの恐ろしさに発狂しそうになった。 逃げなければ! なんとしてでも、この悪夢から脱走しなければ、わたしはこのまま焼け死んでしまう! いますぐに目を覚すのだ! たったいま! 頭上に迫った燃えさかる巨大な掌の一部が分離し、青い炎に包まれた畳十枚分ほどもある板片となって落下してくる。くるくるまわりながら、まっすぐわたしをめざして急速に眼前に拡大する! 「お蝶、飛びなさい!」 女の声は鋭い命令であった。錐のようにわたしの脳にくいこんだ。絶体絶命の恐慌の中で、その命令がわたしの潜在能力の引金をひいた。 わたしは突如、限りなく透明になった。すべての感覚が苦痛と恐怖を脱して行く。あたかも蛹から蝶が脱出するように自由になり、解放されるのを知った。 わたしはもうその場にいなかった。 わたしの意識に最後に残ったのは、業火にあおられて、一羽の華麗な蝶が羽搏き舞いあがる光景であった。もしかするとそれは、わたしのまとっていた紫の振袖だったかもしれない…… |